渋谷ヒカリエ特集

渋谷に新たに誕生する複合施設「渋谷ヒカリエ」。その魅力のすべてに迫る!

ヒカリエ誕生物語 vol.0 東急文化会館のDNAをヒカリエが受け継ぐ

五島慶太の肝いりでスタートした、地上8階・地下1階の総合文化施設。

東急文化会館6階中劇場のデッサン。柔らかい曲線は、コルビュジエの弟子、坂倉準三ならではかもしれない

 常に変化し続ける街、渋谷。その新しいランドマークとして2012年春、「渋谷ヒカリエ」がオープン予定だ。東口駅前にそびえる巨大なタワーの中では、現在、急ピッチで工事が進められている。だがヒカリエを語る前に、かつて同じこの地で時代を先取りしていた、ある施設について触れておかなければならない。その名は「渋谷東急文化会館」。
 東急文化会館の開館は1956年にさかのぼる。当時の東急電鉄会長、五島慶太が自ら建築家の坂倉準三に設計を依頼し完成させた地上8階・地下1階建ての総合文化施設で、2003年まで渋谷に欠かせない存在として愛された。ヒカリエのルーツは、この東急文化会館にあるという。今回はそのあらましを、東京急行電鉄株式会社 都市生活創造本部の下山洋一さんに聞いた。

シネコンや屋外広告の先駆けとなり、渋谷を都心の一等地に変えた。

「実際は閉館に近い時期しか立ち会えなかった」と断りつつも、文化会館について熱く語る下山さん

 渋谷は“谷”と付くその地名からも分かるように、四方を坂に囲まれた、すり鉢の谷底状の形をしている。さらには、山手線の線路と渋谷川で宮益坂側と道玄坂側が両断されていたため、繁華街としては丸の内や銀座に遅れを取っていたという。こうした渋谷の地形の不利を克服し、渋谷を都心の一等地にしたいというのが、五島慶太の強い思いだった。
 文化会館のコンセプトは、最先端の文化のすべてを渋谷に集め、“娯楽の殿堂”を作ること。四つの映画館、五島プラネタリウム、洋式の結婚式場、田中千代服装学園といったカルチャースクール、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督も通ったという文化理髪室、ファッションやフード店を集めた文化特選街など、当時の最先端と呼ぶにふさわしい施設が勢ぞろいし、それぞれの施設や店は個性と活気にあふれていた。
 例えば四つの映画館には、現在のシネコンの先駆けとも呼べる先見性があった。超大作は1階の渋谷パンテオン、新作は5階の渋谷東急、旧作名画は6階の東急名画座(後の渋谷東急2)で・・・と見る側も心得て楽しんでいた。また、地下1階の東急ジャーナル(後のレックス、渋谷東急3)は、開館当初は10円でニュース映画を上映し(一般の映画は200円)、時にはオーディションやテレビ寄席の会場にもなった。そしてビル前面に掲げられた映画館の看板は、いまSHIBUYA 109などで展開されている屋外広告の走りとなった。

文化会館の跡地であるこの場所には、今でも人々の記憶が息づいている。

 このように東急文化会館は、さまざまなコンテンツが混在する渋谷の街の原型であり、渋谷が映画やファッションの街になるきっかけを作った施設だった。その跡地に、地上34階・地下4階建ての渋谷ヒカリエが建つことには大きな意味がある。あのころ、だれもが五島プラネタリウムでのデートにあこがれた。この場所には今でもそんな人々の記憶が息づいている。文化会館が築いた文化的な土壌がしっかりと受け継がれているのだ。いわば文化会館のDNAとでも呼ぶべきものを、ヒカリエは継承していくことにある。

文=田中雄二
写真=林 正